自撮りをしている中国人の若者をよく見かけます。全くもって周りが見えていない様子で、アイドル要素ゼロなのに、アイドルのような表情とポーズを平常心で決め込みます。ところ変わって、公園で歌ったり踊ったりしている団体をよく見かけます。その完成度の低さと言ったら、絶対に人前でさらけ出したくないというレベル。なのに、やはり彼女たちは実に堂々としています。むしろ誇らしくさえある様子。この類の自信は一体どこからやって来るのでしょうか?数年前のこと、中国人大学生に作文を書いてもらったことがあります。テーマは「大学卒業後」驚いたことに、外交官、パイロット、アイドル、作家、博士、省長等という言葉が並びました。何とか実現可能なもので、大学教授、外資系社長、翻訳者、通訳等々。何とか実現可能と言っても、そこそこの大学でしたから、その可能性はわずか数%でしょうけれど。審査すべきは日本語であって内容ではないので、突っ込みたいのは山々でしたがグッとこらえました。それにしても、大学生にもなって何故に「サラリーマン」とか「OL」とかいった当たり前に現実的な単語が出て来ないのでしょうか?疑問が積もりに積もって天に達したくらいの時、学生諸君に質問しました。「自分が特別ではないということに、いつ頃気づきましたか?」皆さん、ポカンとしていらっしゃる。一人、頭の回転の速い学生が答えました。「たった今、気づきました」教室内は爆笑に包まれたのですが、私は顔で笑って心で泣きました。彼らは、自分が特別だという根拠のない自信を無意識に持ったまま大人になり、遠くない将来には、公園で完成度の低い踊りを披露することになるのです。外交官やパイロット、アイドル、作家等という夢は、数少ない例外を除いて、小学生の高学年、遅くとも中学生の時には捨ててしまうものでしょう。そして夢を捨てた時に、自分は特別な存在ではないということを受け入れなければならないのです。でも、それは決して悪いことではないと思います。「将来の夢は?」と聞かれて「牛丼屋さんで働く!」と答えた幼稚園児がいました。理由は「ママが一生懸命に働いているのがカッコいいから」だそうです。幸せな現実は無謀な夢に勝りますね。彼女にとっては現実がかっこいいのですから、とても幸せです。私も、飛びたいけれど飛べない豚、現実を受け入れてかっこ良く生きていきたいと思っています。